『タカリ族のダルバート』
時々お客様から、
「キッチンのスタッフさんは、何族ですか?タカリですか?」
このように聞かれることがあります。
つい先日もダルバートをお召し上がりのお客様から聞かれました。
ネパール料理やダルバートが少しずつ知られてくるとともに、
こういったタカリ、ネワリというような言葉も一緒に広まっているようです。
ちなみに、
”タカリ”はタカリ族で、”ネワリ”はネワール族です。
”ネパール人”はネパール語で”ネパリ”と言います。
その流れからすると、
“タカリ”はタカール族のほうが自分としてはしっくりくるのですが・・・。
なぜかタカリはタカリだそうです。Why? Nepalese people!?
少し話がそれましたが、、、
当店のスタッフはタカリ族ではありませんが、
ネパールにいた時にはタカリの料理も作っていたので作れるものもあります。
今日はそんな有名なタカリ族について、
どうしてタカリ族が有名なのか?
そして、
タカリ族のダルバートがおいしいといわれているのか?
について書いていきます。
タカリ族は料理上手とともに、
商売上手という一面も見えてきました。
タカリ族は有名
ネパールではたくさんの民族がいるのですが、
(興味がある方はどうぞ。)
この中でも日本では、「タカリ族」が特に有名なようです。
地球の歩き方などの本でもよく名前を見かけますし、
インターネットでネパールを調べていても「タカリ」の名前をよく目にします。
(念のため確認ですが”タルカリ”ではなく、”タカリ”です。)
タカリ族のダルバートはおいしい?
自分もネパールやダルバートと関わるようになって、
「タカリ族」という言葉・民族をよく耳にするようになりました。
そして、
”タカリ族のダルバートはおいしい”と。
ネパール人の間でも、
『タカリのダルバート』がおいしい。
というのは有名な話です。
シェフにネパールの好きなお店を聞いても、
タカリのお店を勧められたりします。
実際、タカリのお店はおいしいお店が多いのですが、
タカリ以外の民族のダルバートもおいしいモノはたくさんあります。
そもそも、
タカリの中でも差があると思います。
というよりも、ありました。
それなのに、”タカリ”の名前がどうして特に有名になったのか。。。
(どうでもいいのですが、気になってしまいました。。。)
料理上手のタカリ族?
理由を調べようとしてもだいたい書いてあるのは、
「料理上手のタカリ族。」
とか、
「タカリのダルバートはおいしいので有名。」
などだけです。
おいしいから有名、それはそれでいいのですが。。。
スタッフに聞いてみても、「タカリ ハ オイシイカラ」と言うだけです。
さきほども書きましたが、タカリでなくてもおいしいお店もあります。
それにもかかわらず、
お店に民族の名前を冠しているのが
タカリ族かあとはネワール族くらいです。
(ネワール族はもともとカトマンズ近郊に住んでいた民族なので、カトマンズでよく見るのは当然なので分かるのですが。)
ネパールの旅行者街の中には、
「タカリキッチン」、
「タカリバンチャ(バンチャはネパール語で台所)」、
「タカリチューロ(チューロはシェフ曰く、薪やコンロの”火元”のような意味だそうです)」
などといった感じで”タカリ”の名前がつくお店がたくさんあります。
見かけることが多いから有名に見える?
歩いていてたくさん目にする。。。
そこでひとつ思ったのですが、
『お店に”タカリ”の名前がついているから、”タカリ”も有名になっているのでは?』
ということを考えました。
どういうことかというと、、、
例えば日本でいうと、
うどんといえば香川県というのはよく知られていると思います。
(香川県以外のうどんで有名な場所の方すみません。)
それはきっと、
香川県のうどんは『讃岐うどん』として、
商品名に地名も一緒になって知られているからというのも理由のひとつだと思っています。
うどんといえば・・・”讃岐(香川)うどん”
↓↓↓
讃岐(香川)といえば・・・”うどん”
というように。
他の例で地名が入った例を出すと、
・くまもん(ああ、熊本ね。)
・ひこにゃん(ああ、彦根ね。)
・オカザえもん(ああ、岡崎ね。少し苦しい?)
・出世大名家康くん(静岡県?ですか?)
↑浜松市です。家康だけだと、場所が微妙ですよね。
少し例が分かりづらいでしょうか。。。
といったように、
固有名詞が入っていると場所のアピールにもつながっているように、
タカリという名前をあえてお店につけることによって、
民族を有名にしたのではないでしょうか?
商売上手なタカリ族
さきほどのウィキペディアによると、
タカリ族は13,000人弱くらいしかいないそうです。
それなのに、
タカリの名前は日本も含めて国外にも知られるくらい有名になっています。
それは、
観光客が集まる場所に、
タカリという民族名がつくお店をたくさん出店することによって、
”タカリ”という民族名を一種の”ブランド”としたのではないだろうか?
ということも想像しました。
もしかしたら、
タカリは料理上手でありながら、商売上手な民族なのかもしれません。
ちなみにですが、
このようなことを考えた事もあり、
最近では、
名古屋の本山にあるということを伝えるために、
できるだけ『”本山”タルカリ』というようにしています。
タルカリはタカリから少し学びを得ました。
(もっと料理のことを学べって言われそうですね。。。)
と、
書いて終わりにしようと思っていたのですが、、、
(もう少し続きます。)
この記事を書くにあたって、また少し調べていたら、
いくつかタカリについてインターネットで見つけました。
タカリ族が住む場所は交易の拠点だったから
タカリ族というのは、
昔は、ジョムソン・トクチェピークを本拠地にしていた少数民族で、
チベット・ネパール貿易で財を成した民族です。
ネパール側から米、唐辛子、インドの生活用品などを運び、チベット側からは岩塩、羊毛などを
ネパールに運んでいたようです。
タカリ族のモットーは、子供に高い教育をあたえること、美味しいものを食べることだったようです。
現在においても、15000人足らずの少数民族、子供に高い教育を与えることで、
ネパールの中での民族の地位を確保してきたのでしょう。
又、実際、確保しています。 (hikaruno photo archives より)
このように、
昔からの交易の中心地であったことも、
ネパール国内で”タカリ”の名前が知れ渡る理由だったのかもしれません。
日本でいえば”堺”とか”長崎”といった感じでしょうか。
これについて、
あるネパール人と話していたら、
「旅をする人たちをもてなすために、
昔から料理を出す仕事をしていたから有名になったのでは?」
ということでした。
ヒマラヤの彼方から
あとはこちらの本も偶然見つけて読んでみました。
『ヒマラヤの彼方から』
1982年に書かれた本で、
著者は1958年にネパール調査隊に参加をしたという飯島茂さんという方です。
こちらの本の一部を要約すると、
チベット、インドとも関わる重要な場所で、
19世紀の歴史的・政治的な動きから、
タカリ族もその交流の重要な役割を担っていった。”
少しずつ地位を築いていった”
そうです。
著者の飯島さんはタカリ族を
「ネパールの華僑」・「ヒマラヤのユダヤ人」
と称しています。
当時1万人に満たないタカリ族についての本を書かれるくらい、
タカリ族は目立った存在だったのだろうなと想像しました。
時代がすすめに連れて、
経済・物流の流れの変化などから、
カトマンズへ進出”せざるを得なかった”そうです。
そして、
それまでの知名度を生かして、
カトマンズでもホテルやレストランの経営などに進出していったとのことです。
以前から少しだけ疑問に思っていたことが、
ブログのネタとして書くことにより少しだけ解消しました。
ということで?
上のほう書いた”名前を付けたから有名説”はですが、
やっぱり違いそうな気がしています。。。
商売をしていく上で知名度を生かしたというのが正しそうです。
ただ、商売上手という面は合っていたのかな?と思います。
最後に・・・カトマンズの有名なタカリレストラン
ネパール、カトマンズのタメルにある、
「タカリバンチャガル」
バンチャ・・・台所
ガル・・・家
”台所の家”で食堂というような意味になります。
こちらはとても有名で、
どこのブログなどを見ても評価が高いです。
実際とてもおいしいので、
ネパールに行かれた際はぜひ一度足を運んでみてください。
あと、数年前に東京にも”タカリ”のお店ができたみたいです。
まだ行ったことがないので、東京に行った際は行きたい場所のひとつです。
日本でも”タカリ”の勢力が強くなるんでしょうか?
その前にまずダルバートからですね。
今後のネパール料理はどのように広がっていくのでしょうか?
とても楽しみです。
少し長くなりましたが、
今日もご覧いただきありがとうございます。
ダンニャバード。
(ネパール語でありがとうの意味です。)