こんにちは。タルカリです。
2018年2月にネパール(とインド)に行ってきました。
しばらくその旅路について書いています。
もう終盤なので、あと少しだけお付き合いいただければと思います。
読んだあと、
何となくネパールに行った気になってもらえるとうれしいです。
前回は「インド・ネパールの国境スノウリ」について書きました。
今日は「スノウリからルンビニを経由してカトマンズへ移動」です。
前回の記事はこちら↓
◎登場人物
・タルカリ(自分)
・IT(日本から同行した友人)
・はっくん(世界一周中の友人)
・ひとみちゃん(はっくんの彼女、はっくんと一緒に旅をしている)
・タルカリシェフ2名(それぞれネパールの実家に)
◎滞在地(予定地)
名古屋→カトマンズ→ニューデリー→アーグラ(予定外)→バラナシ(ガンジス川がある場所)→インドとネパールの国境(いまここ)→シェフの実家(行けなくなりました)→カトマンズ→名古屋
◎旅の目的
・世界一周中の友人とインドで合流する。
・陸路でインドとネパールの国境を越える。
・インドの深夜列車に乗る。
・シェフの実家に行く。
現在、インドとネパールの国境の街スノウリにいます。
スノウリからカトマンズへ向かいます
ついに念願のインドとネパールの国境を歩いて越えました。
人生のやり残しがひとつ減りました!?
国境は簡単に超えられる?
国境についての小話をひとつ。
インドとネパールの国境は6か所あるそうです。
これは”外国人が行き来可能な”国境が6か所という意味です。
それ以外の場所では国土が陸続きなので、当然いたるところで道がつながっていて、
かつ、ネパール人とインド人はビザなしで行き来できるので、日常的に往来があるそうです。
シェフの奥さんも、実家が”橋の向こう側がインド”という場所で、
そこには特に何があるという訳ではないので、普通に通行できるとのこと。
よくインドに買い物に行っていたそうです。
ただ、
日本人がインド側に行けばもちろん不法入国になります。
以前も書いたと思いますが、
シェフ曰く、「日本人はネパール人に見えるから大丈夫。少しネパール語を話せればごまかせる。ネパール語を話さないネパール人もたくさんいるから。」とのこと。
奥さんも「私の街に来てください。一緒にインドに遊びに行こう。大丈夫。」
などと言ってきますが、怖くてやりたくありません。。。
カトマンズの前にルンビニに寄ることになりました
さて本題に戻りまして、
前回、カトマンズまでの道が工事で16時まで通行できないと書きました。
このときは朝の8時30分くらいです。(ビザの手続きに少し時間がかかりました。)
そこで、客引きの彼が、
この人です。
「少し時間があるからルンビニも行くよ。同じ料金で。」と提案してくれました。
(トイレにちょっと寄るだけで、お金をとろうとするバラナシのインド人とは大違い。)
で、
ルンビニ!!!
ルンビニはブッダ(釈迦)生誕の地といわれている場所で、
スノウリからは30kmくらいの距離にある仏教の重要な場所です。
そうです。
ブッダはインドで生まれた”インド人”のようなイメージがありますが、実は”ネパール人”なんです!?
違うか。。。
(インド側は、ブッダはインドで生まれたとか、ルンビニはもともとインドだとか、
今でもルンビニを併合しようとしているだとか、いろいろ耳にしますが。。。)
ルンビニはもともと訪れたかった場所のひとつでした。(特に熱心な仏教徒というわけではありませんが)
今回の旅の計画をするにあたり、ルートの近くにあるということもあって立ち寄る候補のひとつだったのですが、残念ながら時間の都合上泣く泣く諦めていた場所でした。
すぐ横を通り過ぎるというのにも関わらず。
なぜルンビニに興味があったかというと、小学生のころに図書館で読んだ手塚治虫の「ブッダ」が最初のきっかけだったと思っています。子供心に(ブッダという漫画に対して)「怖い」という思い出とともになぜか記憶に残っている場所で、ネパールに関わるようになってからは、いつか行きたいと思っていた場所でした。
はっくんも世界旅行をする中で、仏教が持つ魅力を感じるようになっており、
(ミャンマーで寺院にこもって瞑想もしてきたそうです。)
ぜひルンビニを訪れてみたいということもあって、せっかくなので皆でルンビニを訪れることになりました。
ということで、、、
ここできました!
ルンビニに”よばれ”ました。
今回旅を通じて、半ば冗談で”よばれた”、”よばれてない”という言葉を使っていましたが、
こういった”見えない力”は、もしかしたら本当にあるのかもしれない、
そのような不思議な感覚を経験させてもらうことができた旅でした。
ルンビニに向けて
ということで、さっそくチャーターした車で出発。
費用は1台50ドルくらいでした。
バスは一人800ルピー(880円くらい)だったので、
4人でチャーターした場合はそこまで大きく変わらないと思います。
ただ、バラナシからスノウリに来たときより小型でした・・・。
ルンビニへはスノウリから車で通常は1時間弱です。
若いドライバーさんで、なかなか飛ばす人で40分くらいでつきました。
スピードメーターを見たら、110kmくらい出ていることもあったりして、少し怖く感じたときも。。。
ただ、このあたりのインドに近い南部はほとんど平原で、カトマンズなどとは違って平らな道が続いているということもあってか走りやすそうでした。街中以外は車も多くありませんでした。
↓何も起きない、ただ車が走っているだけの動画ですが。
ルンビニ近辺を走る様子を撮ってみました。
ルンビニのゲートです。
ルンビニの印象は”郊外”、”のどかな田舎”です。
発掘された遺跡を整備する際に、それらを中心としてたくさんのお寺が建てられたそうです。
ルンビニ到着
今回は時間も少なかったので、数ある寺院の中のマヤデヴィ寺院(マヤ聖堂)だけ行くことができました。マヤデヴィはブッダの”お母さん”で漢字で書くと、
「摩耶夫人」というそうです。
マヤが”摩耶”、デヴィが”夫人”という意味だそうです。
デヴィ=夫人
おおっ!?
何か関連性はあるのか、現地で一瞬盛り上がりましたが、
後で調べたら特に関係ないようです。
疲れていると、こんなくだらないことも面白く感じられます。
このあたりは日中は日差しがかなり強く、歩いていると汗がでてきます。
中に入ると、菩提樹には多くの”タルチョ”がはためいていました。
菩提樹の足元ではたくさんの仏教徒がお祈りをしていました。
ネパールは80%くらいがヒンドゥー教で10%くらいが仏教だそうです。
前日までがうそのように穏やかな気持ちに。
平穏なひと時を過ごしました。
ルンビニは他の寺院も含めて、もう少しゆっくりと滞在してみたい場所です。
ルンビニはおそらく「何もしない」ために来るというのが正解です。
また来ます。
こちらがマヤデヴィ寺院です。中にも下の写真のような遺跡と石像があります。
(中は撮影禁止でした。)
お店におかれたお金を寄付してきました
そういえば、この寺院の中の寄付箱にこのお金↓を寄付してきました。
タルカリの入口にお客様が置いていったお金です。
最初はこのような感じ↑で、ネパールのお金を少しだけ置いていたのですが、
いつの間にか積もり積もって、596円になっていました。
扱いをどうしようかずっと迷っていて、せっかくなのでネパールのどこかに寄付しようと思って持ち歩いていました。ルンビニに行けて良かったです。
20年前にも実は・・・
小話がつづきますが、、、
実は?タルカリの母は20年以上前にルンビニを訪れています。あと、書いていませんでしたがインドも行っています。
なにやら友人達と”ブッダゆかりの地を巡るツアー”みたいなものに参加をして、2週間くらいこのあたりインドとネパールをうろうろしていたようです。
いろいろ話を聞こうと思って「どこ行ったの?どうだった?」と聞いても、ルンビニとスジャータ村ぐらいしか覚えていませんでした。ルンビニも「いいところだったわよ~。何があったかしらねぇ。」程度の情報?しか得られませんでした。
数少ない覚えていた話はというと、、、
一緒にツアーに参加していた若い人たちは、みんなお腹をこわしていたのに、母たちのグループは全員問題なかったという話です。
さすが戦後を過ごしてきただけある、、、と話を聞くたびに感心しています。
母は「若いひとたちは(自分たちより下の人たち)、みんな弱いのよねぇ(お腹が)。」とよく言ってました。
その20年後、そんなあなたの子供も・・・。
それでは、移動します。
ルンビニからカトマンズへ向けて
ルンビニのすぐ横にはバイラワという大きな街があります。
ちょうど切れてしまっていますが、中心部のこの塔の上にはブッダの生まれたときの像(天を指さしながら生まれてきた姿)があります。
長距離バスの発着もその多くがこの街だということで、
ルンビニを訪れる際はほぼ確実にバイラワを経由するはずです。
バイラワは今は通称で、正式な名前は「シッダルタナガル」というそうです。
「ゴータマ・シッダルタ」はブッダの出家する前の名前です。
このすぐ近くの空港の名前も「ゴータマ・ブッダ空港」とのこと。
有名人?にあやかろうとするのは世界共通のようです。
(坂本竜馬空港的な?)
このルンビニのゴータマ・ブッダ空港は、ポカラとともに国際空港化が進められているそうです。今はカトマンズが唯一の国際空港なので実現して便利になるといいですね。
バイラワでダルバート
この日最初の食事は、そのバイラワで食べました。
みんなはノンベジのダルバートでマトン付き。
自分はベジダルバートを選びました。
ダルとタルカリが大盛りできました。
アーグラ以来のひさしぶりの固形食でしたが、
残念ながら気力がなく、半分くらい泣く泣く残しました。
はっくんはネパールビールも注文していました。
これを見るのは初めてです。『ライトビール』だそうです。
このレストランはドライバーの人が連れていってくれたのですが、ホテルの1階にあり、
とてもていねいで味も良かったのですが、場所を確認するのを忘れました。
すみません。。。
カトマンズへ向けて
食事も終えていよいよカトマンズへ向けて出発です。
さすが首都への輸送のメインルートのひとつだけあって、様々な物資を運ぶトラックが走っていました。
少しずつ平地から山道へ雰囲気が変わっていきます。
ところどころで道が荒れてきました。
動画はこちらです。(ポカリスエットの粉末がガラスに映りこんでいますが、ITが非常用に持っていたのをもらいました。)
2時間くらい走ったころでしょうか。
このようなトラックの列ができていました。
この先が例の通行止めの工事区間のようです。
(このあたりは整備が終わっていて、かなりきれいな状態でした。)
このときの情報をひとつ書き忘れていましたが、
大型車は16時まで通行止めだけれども、小型の普通車は14時から通れるかもしれない、
ということを車をチャーターしたときに言われていました。
この時点でたしか15時くらいだったのですが、その話の通り普通車だけ通れる状態になっていました。車をチャーターして正解でした。
山中を駆け抜けます
段々険しい山道になっていきます。
と、
しばらく走ったところで、
チャ屋でチャ休憩を。
ネパールなのでチャイではなくチャですね。
”ネパール”という光景です。
走っていた道からは向こう側へと渡れる吊橋がところどころ架かっていました。
元気があれば、確実に写真を撮りに向かっていたのですが、
このときは早くカトマンズへ戻りたい気持ちが勝りました。
道中はほとんどのこのような山道です。
少しずつ山が夕焼け色に。
たわいない話は重要です
ルンビニを出たのが13時くらいで、カトマンズに着いたのは20時少し前だったので、7時間くらい車に乗っていました。バスならもう少しかかっていたと思います。
前々日から移動続きのため、さすがにみんな疲労がたまっていて車中にもその雰囲気が漂っていました。
この移動の間、車内で何を話したかあまり覚えていないのですが、、、
数少ない覚えている話が、
はっくんが振ってきた、「このつらい車移動を誰と一緒だったら楽しめますか?」という話題です。こういうときは、こんなくだらない話が救いになります。
ちなみに、「やっぱり、今いるこの4人以外考えられないよね。」と答えたところ、
はっくんに「それ一番ダメな答えですよ。」と怒られました。
あとは、叶姉妹のお姉さんのプラス思考の話を思い出して、「叶姉妹のお姉さんの話を聞くと前向きになれるらしいよ。ということで恭子さんと、、、あとは、、、」と答えようとしたら、「叶姉妹はセットだから2席埋まるけどいいんですか?あと、恭子さんを呼ぶにはグッドルッキングガイが2人必要なので、それで4席埋まって終了ですけど、本当にそれでいいんですか?よく考えてくださいね。」と注意されました。
といった感じで、本当に中身の無い話でしたが、なんだかんだ40分くらいでしょうか、この話題でつらさを少しだけ忘れることができました。
やってて意外に面白かったので、絶対ブログに書くぞと思っていたので覚えていました。
お腹が痛くて山道の移動が続くときはぜひ使ってください!?オススメです。
ちなみに我々の結論ですが、誰を乗せたとしても話が続かなくなって困るので、場を回すのにタモリさんは絶対必要だよね。というくらいのところでこの話に飽きて終わりました。
このブログを読まれている方、つらい車移動誰を選びますか?定員は自分を含めて5名です。
タメルに帰ってきました
さて、
日もすっかり暮れたころ、シェフの家に行く際に待ち合わせをしていた場所を通り過ぎ、、、
(写真を撮りましたが暗すぎて何も映っていませんでした。。。)
20時ごろカトマンズのタメルに到着。
まだ旅は終わっていないのですが、家に戻ってきたような気分になりました。
みんなお腹が空いたということで、
やっぱりここへ。
タカリバンチャガル
みんなはダルバートと、
モモ
チョウミン
ラッシー
そして自分は、、、
チキンスープです。
タカリバンチャガルに行って、普段なら絶対注文しないだろうチキンスープを頼むことになるとは。。。
とはいうものの、
普段頼まないものをあえて注文して、ひとつのお店のメニューを全部制覇するのも面白い試みかなという話になりました。来年やってみようかな。。。
といったところで、今日はこのあたりで。
ようやくカトマンズに戻ってきました。
次は「ボウダナート」です。
今日もご覧いただきありがとうございます。
ダンニャバード。
(ネパール語でありがとうの意味です。)