”ネパール王族殺害事件”と”ネパール人経営のインドカレー屋さん”との関係性!?

ネパール

16年前の今日、

6月1日が『ネパール王族殺害事件の日』だったそうです。

 

勝手な持論というか考えですが、

この事件と日本のネパール人が経営するカレー屋さんが急増した事と、

少なからず関係していると思っています。

 

ということで今日は、

『ネパール王族殺害事件とインド・ネパールカレーの関係性』

についてです。

 

 

『ネパール王族殺害事件』

 

ネパール王族殺害事件(ネパールおうぞくさつがいじけん、英語:Nepalese royal massacre)は、2001年6月1日ネパールの首都カトマンズナラヤンヒティ王宮で発生した事件ディペンドラ王太子(事件直後、危篤状態のまま名目上は国王に即位し、その3日後に死亡)が父・ビレンドラ国王ら多数の王族を殺害したとされる事件である。現場名称を取ったナラヤンヒティ王宮事件とも呼ばれる。

出典:ウィキペディアより

 

 

事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、

この事件もいろいろと疑惑が多い事件です。

 

言葉を選ばずに書くと、とても興味深い面白い事件なので、

ネパールに興味がある方は、

一度詳しく調べてみてください。

 

王族殺害事件とインド・ネパールカレー店の関係性

 

ネパール王族殺害事件以降の政情不安が

日本にカレー屋が増えた事につながっています

(と勝手に考えています。)

 

その理由として、、、

 

ネパール王族殺害事件でネパール国内の混乱が始まる

 

王族殺害事件後、

ネパールの国内では生き残った王族や政党などが、

政治の主導権争いを始めて国内が荒れたそうです。

(結局、2008年に王政が廃止されて、今はネパール王国からネパール民主共和国になっています。)

 

 

当店のスタッフから以前聞いた話ですが、、、

 

その国内が荒れ始めたころ、

ある武力行使をする勢力が突然家におしかけてきて、

村に数少ないソーラーパネルを強奪していった、

という事があったそうです。

 

十数万円くらいするもので、

公務員の月収が2万円くらいと言われるネパールでは超貴重品。

しかもライフラインのひとつです。

 

 

他にもいろいろ聞いたのですが、

このエピソードがなぜか結構記憶に残っています。

 

 

このような事が国内中であり、

特に田舎は警察・軍隊の力も及ばなく、

被害が多かったと言っていました。

 

国内の混乱の結果、人々の移動がはじまる

 

そのような混乱の結果、

多くの若者が比較的安全な(警察や軍隊の力の及ぶ)首都カトマンズへ、

安全と仕事を求めて出ていったそうです。

 

それが今の人口過多につながっているそうです。

 

 

当然カトマンズでの仕事量にも限界があり、

そこであぶれた人々が次に求めたのが

海外での働き口だったそうです。

 

その行先としては、

元々関係性が深いイギリスはもちろんですが、

日本もそのひとつとして選ばれたそうです。

 

元々ネパールと日本は関係性がよかったためです。

それと、

ODAなどでたくさんのお金の支援をしていたので、

たくさんお金が稼げそうという理由で選ばれたのでは?

と思っています。

 

という事で、

2001年より少し後から、

日本に来るネパール人も増え始めました。

 

ネパール人が日本で働くためにはコックが一番可能性が高い

 

ネパール人が日本で働きに来るためには、

コックとしての「技能ビザ」というものが、

一番取得できる可能性が高いものだと思います。

(タルカリスタッフももちろん持っています。)

 

 

彼らが技能ビザを取得し、

インドカレー屋で雇ってもらって働き始める。

しばらくしてお金を貯めて、

独立をして自分でお店を始めてネパール人を呼び寄せる。

そしてまた・・・。

という循環の始まりです。

 

 

ちなみに、

初期のネパール人たちはかなり稼げたようです。

 

そのころに日本に来てお店を始めた人たちは、

今では多店舗展開や

違うビジネスでも成功している人も多いです。

 

それを聞きつけたネパール人たちが、

続々と日本へときたがるようになり・・・

 

 

十数年を経て昨今の

”ネパール人が経営するインド・カレー屋”の隆盛へとつながっています。

 

 

二匹目のどじょうはいない・・・

 

ただ、

”二匹面もどじょう”というのはなかなかいないもので・・・

 

初期の人々の成功を見たネパール人達が、

自分も自分もと駆けつけはじめましたが、

あまりにも多かったため最近では少し、

いや、かなり飽和状態。。。

というような感じです。

 

さすがに入国管理局も多すぎると感じているようで、

最近は「技能ビザ」の取得もかなり難しくなっています。

この間いろいろな不正もあったそうなので・・・

というのはまた別のお話・・・

 

タルカリも王族事件が無かったら・・・

 

少し無理やりかもしれませんが、

 

ネパール王族事件により国内が混乱し始めて、
仕事を求めて人々が海外に出るようになり、
その結果、
日本でもインド・ネパールカレー屋が増えた。

というのが自分の持論です。

 

 

2001年6月1日にあった、

ネパール王族殺害事件が、

日本でのネパール人急増、

ネパール人の経営するインドカレー屋の急増に

つながっているのではないかと思っています。

 

 

 

今こうしてネパール人スタッフとタルカリをやっていられるのも、

ネパール王族殺害事件と関連しているのでは?

と想像するのもまた楽しくないですか?

 

 

歴史は少しずつ関連していると思わされる一件でした。

 

 

しつこいようですが、

この事件はとても興味深いので、

特に『陰謀好き』の方にオススメなので、

調べてみてください~

 

 

 

今日もご覧いただきありがとうございます。

ダンニャバード。

(ネパール語でありがとうの意味です。)

 

 

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