今日でネパール地震から2年。ネパール地震の日のタルカリでは・・・。

ネパール

 

 

2015年4月25日 タルカリでは

 

ネパールで地震が起きて2年。

 

当時の現地のことや、復興のことは他のブログでも読めたりするので、

 

今回は、地震当日のタルカリ店内であったことを少しだけ思い出して書いてみることにしました。

 

2015年4月25日

 

地震の事はシェフに教えてもらいました。
最初の言葉は、

「ダラハラ コワレタヨ。。。」

(ダルハラとはビムセムタワーという、カトマンズで一番高い塔です。でした。)

 

ネパールで大きな地震が起きたという事で、
その日は営業中もずっとみんなでインターネットを注目していました。

 

地震が起きてすぐは日本のニュースではほとんど扱われておらず。
「ネパールで大きな地震が起きました。」くらい。
日本語での情報収集はほとんど出来ませんでした。

 

ネパールのサイトや英語のサイトやユーチューブなども見ていましたが、
流れてくるのはほとんど同じ画像・映像だけ。そのほとんどがこちらの映像でした。

 

 

動画はこれともう1つか2つくらいの同じものが、何度も流されていました。
あとは画像でダラハラが倒壊したところなど。

 

自分たちはこの動画を繰り返し何度も何度も見ていました。

 

 

↑この動画の場所のバクタプルは、

その2か月前のネパール旅行で訪れたばかりで記憶もまだ新しく、
寺院が崩れていく姿はとても衝撃的でした。

 

スタッフたちはviberや国際電話で家族と連絡をとろうとしていましたがすぐには連絡がつかず、特にカトマンズ近くに親戚が住んでいるスタッフは心ここにあらず・・・といった様子。

震源から近くはないのですが子供をネパールに残しているスタッフも子供たちと連絡がとれず、

「ワタシ ネパール カエル!!!!」

と言い出したりして若干混乱した様子でした。

家族と家庭を大事にするネパール人らしさが出ていたと思います。

 

帰るとはいっても、その時はカトマンズの空港も大混乱していたようで、
(ネパールの国際空港は現在カトマンズのみです。)
すぐに簡単には、帰るに帰れない状況では無かったと思います。

 

その後、スタッフに近い家族・親戚はみな無事という事が分かり皆一安心していました。

「カエル!」と言っていたスタッフも、翌日には子供が無事と分かり落ち着いていました。

 

現地の状況をあとから聞いた話ですが、
もともと首都カトマンズでも計画停電が当たり前だったり、
便利ではない生活に慣れているという事もあり、
自家発電の設備も備えていたりするので、
“電気がつながらない”などという事への対応は、
日本ほど問題にならなかったという話も聞きました。
(あくまで聞いた話で、一部かもしれませんが。)

以前の震災の混乱にもあるように、
日本は電気が止まってしまうと何もできなくなり、
少しの乱れが大きな不便につながるので、
普段便利過ぎるのも、それはそれで考えものだな。
と少し考えさせられたりしました。

 

その後は、

地震翌日か翌々日くらいに、名古屋在住のネパール人の話を聞きたいということで、
新聞社の方の取材や電話での聞き取りアンケートがあったりしました。

 

 

以上が、少しだけ思い出した地震当日のタルカリの状況です。

 

実際、具体的にその日のことを思い出そうとすると、
けっこう記憶もあいまいで、そうだった気もするし、少し違う気もするし。。。

 

このような記憶に残るはずの日も、特に記録などに残していないと、
忘れていってしまうものだと、改めて思わされました。

 

 

先月から始めたこのタルカリブログ。

大事な日から平凡な1日まで、気づいたことからたわいない話まで、
タルカリの記録としてブログに残しておくのも大事だなと再確認しました。

 

名古屋在住の何名の方か分かりませんが、

少しだけでもタルカリに興味を持っていただいた方に、
このたわいもない記録を楽しんでもらえればと思います。

 

 

最後になりましたが、
ネパール料理を提供させてもらうお店として、
引き続きネパールに協力していければと思っています。

 

 

今日もご覧いただきありがとうございます。

 

ダンニャバード
(ネパール語でありがとうの意味です。)

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